今こそ「絆」を大切に
皆でこの試練をのり越えましょう!!
正月気分も冷めかけた1月26日、新燃岳が爆発、心を痛めて祈る気持ちで鎮まるのを待っていた矢先に、3月11日、東日本大震災に見舞われました。
まさに筆舌に尽くしがたい、言葉もない惨状を私たちは目に焼き付けられました。1時間足らず、いや瞬時と言っていい間の出来事は、戦争でもない、夢にも見る事のない状景でした。
亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げ、被災者の皆さまの苦難の日々に、心からお見舞いを申し上げます。
桜萩会の会員の皆さまは如何だったでしょうか。直接被災地ではなくとも、親戚縁者、友人知人の安否に心を痛めている方も多いと思います。
首都圏は、原発事故の影響で、停電、一部の品不足、各種行事の自粛、キャンセルが相次ぐなど、落ち着かない日が続いており、景気への影響が大きく懸念されます。
3週間過ぎた今も、多くの方が避難所生活を余儀なくされるなかで、住み慣れた土地を離れて「一時移住」も始まりました。先ず住むところの確保は第一歩ですが、これからの生活、子供たちの学校、町の復興など、「一時移住」のその先が、町役場も流され、行政の中心が機能停止しているところも多いだけに、大変厳しい毎日が続くと思われます。
私は、あの太平洋戦争の時の、「疎開」を思い出します。私達の西諸、小林にも、最前線の沖縄から、本土空襲に備えて、大阪、東京、横浜などの都会から、戦災から避難する多くの方々が「疎開」して来られました。
「あの時はとても辛かった。いやな思いをした。」と、疎開していた友達から聞いた事が後々に幾度かありました。当時は田舎も物資がなく、自分たちも苦しい生活の中で、「疎開してきた人々」を迎えての日常は、いわゆる「よそ者」への好奇心や、言葉、生活習慣の違いなども綯い交ぜになって、「いじめ」や「意思疎通を欠くこと」が多かっただろうなと思いました。
桜萩会には、青春をこのような疎開生活者として、旧制小林中学、小林高女、小林高校に在籍された方々が沢山いらっしゃいます。今その多くの方々が「小林は好かった」と、桜萩会の諸活動に参画して戴いています。あの辛い時を、青春のひと時を「共に過ごした」その「絆」が、今に生きているのです。
翻って今は、日本中どこへ行っても、都会や田舎の風景など多少は違いますが、日本人としての日常に違和感を持つ事はほとんどなくなりました。むしろその事が問題視されるほど均一化しています。この試練の時に、人が交わることによって、地域や日本人の特性の再発見や、新しい日本、日本人の創造に繋がる契機になればと思います。
今こそ、日本中が一つになって、どんなささやかな「絆」でも、その持つ意味を大切に
助け合い、前を向いて一歩一歩進む事だと思います。
新燃岳の灰との闘いは今も続いています。故郷の皆さんの不自由な日常に変わりはなくても、それを乗り越えようとする気持ちはさらに強くなったと思います。私たちもまた、「今までの日常」を省みて、日本の再起の為に「新しい日常を」を創り出すべく、桜萩会の「絆」で出来ることを始めましょう。
自然の力、恐るべき破壊力に、人間の知恵の限界を見る思いがしました。
一方、津波で根こそぎ流された陸前高田の防潮林の中に、一本だけ凛として、太平洋に立ち向かうように立っている松の木の強さ、瓦礫の山の中に咲いた梅の花の可憐さ、温かさ、生きるものの力も見ました。桜も開花し始めました。春はやってきました。
人は、自らの力を鍛えながら、助け合い、さらに強く生きることを再認識して、明日に向かって生きていこうではありませんか。
最後に、皆さまの、一層の御自愛、御健勝をお祈り申し上げます。
( 平成23年4月3日 記)
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