<丸岡真幸 先輩 を訪ねて>
・・100歳のお祝いに訪れ、そのパワーに圧倒される・・
*10月19日(木) 午後3時。JRと北総線が交叉する東松戸駅で待ち合わせ。
介護老人保健施設「グレースケアー市川」を、橋口前会長、村田副会長、丸山の三人で訪れる。
施設の送迎用軽自動車で5〜6分。田園の丘の上に3階建て、レンガ外装の端整で堂々たる建物。受付をはいると、広い廊下と明るいすごく開放的な憩いの空間が広がり、入居者の皆さんがテーブルを囲み談笑、テレビの鑑賞で三人、五人と集まって賑やかで和やかな風景が展開される。その中に丸岡さんを見つけて、2階の自室の前の談笑フロアーへ。
*明治40年11月27日生まれ。今年の誕生日で満99歳。数えで三桁、100歳の先輩は、車椅子に座ってはいても、歩く時は、手ではなく足で蹴って走るように前進し、早い、早い。
今年6月の桜萩会祭りで、乾杯の音頭をとって頂いたが、その時と全くお変わりない大きな声で、にこやかに我々を迎えられた。
*健康法から最近の世相まで、話題は尽きない。
耳が遠いだけで目は大丈夫。五年ほど前に白内障で見えにくくなったが、手術をすると7割成功、3割は見えなくなると言われ、しばし躊躇ったが、放っておいたら見えなくなるのだから手術をする事にした。手術は誠に簡単で、とてもよく見えるようになり、今も読書など不自由なく有難いと。村田さんが、白内障の手術は、一回やると10年大丈夫で、三回まで出来るそうです。と言えば、それじゃ私は、後二回できるから125歳まで大丈夫だなと。
*自分は文科系だったから、最近は小中学生の理科の教科書を読んでいるが、自分が知らなかった事が沢山あって面白い。
ニュートンの万有引力から、アインシュタインの相対性理論の発見が生まれた話や、最近は数学の勉強も興味深い・・などなど。
*歴史を教えていたのだが、今また歴史の勉強をしなおすとこれもまた面白い。
聖徳太子が定めた17か条憲法の第一条に「和をもって貴しとし、逆らうことなきを宗とせよ」とあるのは、日本人の在り方の根本を示すもので、平和を願う世界の範とすべき、日本人の在り方の特質として世界にアピールすべき事ではないか。
聖徳太子に始まり、キリスト、釈迦、の「愛」について、誠に深い洞察。
*教育勅語の中の「夫婦あい和し・・」のくだりについて、検討メンバーの学者の中に(丸岡さんが言われた学者の名前を失念しました)強い異論を唱えた人が居て、明治天皇は大いに迷って、皇太后殿下に意見を聞かれて決断をされたという。これも、日本人の誇るべき特性だと思う。・・・・などなど。
*話の内容は、論理的で繋がりもあり、よどみなく、100歳にしてなお少年のような向学心も、記憶力も旺盛で、しかも、我々がはじめて聞く話や、教わる事ばかりで、ただただ、大いに刺激され、逆に励まされるばかり。
*どうすればこのようにお元気に過ごせるのですか。と問えば、
健康の要諦は、「自分で出来る事は自分でやること」だ。周りを見ていると、若い人や、元気な人が、たとえば風呂に入るとき、自分で出来るのに人の手を借り、頼って甘えている。こんな人は、自分で自分の身体を駄目にしているようなものだ。と。
出された食事は、全て食べる。これは、私だけだ。
毎朝、5時に目が覚めるので、車椅子を押して(座るのではなく)廊下(左右100m位はあるだろうか)を毎日2往復しているので、足の筋力が衰えない。車椅子に座っていても足で蹴って歩く事が出来る。そうする事で内臓の健康にも役立つ。お陰さまで歩行以外は,至って元気で健康だ。と。
*あっという間に、1時間40分過ぎた。
来年の総会にもまた是非お元気な姿を見せて下さい、そして乾杯の音頭をお願いします、と伝えると、「市ヶ谷」はエレベーターがあるからいいよと、元気で応えられた。
*ケアーホームを辞して,畑道の近道を三人で歩きながら、丸岡先輩の100歳という年齢が実感としてどうしても理解できない、複雑で、不思議な感動を噛みしめた一日だった。
(2006年10月24日 丸山 幸秀 記) |