Greeting
会長挨拶
桜萩会 第50回総会に向けて・・
ホームページの活用を
桜萩会会員の皆さん こんにちは。
コロナ禍で3年間開催できなかった総会を、昨年に続いて今年も、無事、盛会裏に行うことが出来ました。有難うございました。
今回は、ホームページの活用を皆さんにお願いいたします。
これまで 年2回、東日本の会員の皆さんへ「桜萩会だより」「立志鍛錬」を幹事の皆さんの協力で送り続けてきました。会費収入のほとんどはこの郵送費に使われます。郵送費の値上がりや、ネット時代の進化を考えますと、これから、ホームページの活用が、とても大事になります。「桜萩会だより」「立志鍛錬」を開きますと私たちの「桜萩会」のこれまでの経緯、母校小林高校を取り巻く、いま、あの日あの時が、鮮明に蘇って参ります。そのためには、いつでも最新の情報が得られるような、ホームページでなければなりませんので、この度、リニューアル致しました。
いよいよ来年は第50回総会を迎えます。
昭和51年12月、京橋会館での設立総会以来、半世紀の歴史を刻むことになります。最盛期には2500名近い会員も、今は1500名前後となりましたが、これも時代の趨勢であり、いまだにこれだけの会員の皆さんで活動が出来ていることを有難く思います。
幹事会では、会員の減少への対応、活動資金の確保がいつも課題になりますが、皆さんの期待に応え、活動を続けるために、コロナ禍の直前、会費のほかに寄付を募ろうということで、さっそくお願いをいたしました。沢山の皆さんのご協力により、お陰様で、いくらか余裕が出来ましたが、課題解決のためには、ホームページの活用など新たな取り組みも必要だ、ということで、今回のホームページの更新対応となりました。
皆さんからのお知恵を是非、幹事会にお寄せください。
これからも桜萩会活動に対するご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。
今一度、「桜萩会」の『絆』を再認識しましょう
2011年1月26日、新燃岳が爆発し心を痛めていた矢先、それを吹き飛ばすように、3月11日東日本に大地震と未曾有の津波、そして原発事故の恐怖が追い討ちを掛けました。
あっという間に6年、そのとき小学校の門をくぐった子供たちはこの春、中学生になりました。この間、亡くなった方を悼みながら多くの人達が、懸命に生き続けてこられたことでしょう。『絆』と言う言葉の力が人々の心に強く刻み込まれた日々でもありました。昨年は熊本地区の地震もあり、桜萩会も「チーム小林47」とともに出来ることをしてきました。
近年、気候の変動か、世界中で自然災害が頻発しています。加えて世界の政治や経済も、かつて無い不安定な時代に向かおうとしています。想定外のことが何時起きても不思議ではありません。一方、身の回りの生活環境は、相変わらず頼る人が無く子育てに苦しんでいるお母さんや、年寄りの孤独死など、人と人の繋がりが難しい状況が続いています。
桜萩会の『絆』としての役割が、今一度見直されるときだと思います。遠く故郷を離れているからこそ、同窓の仲間がもっと助け合い、励まし合い、楽しみあう場として再認識したいのです。
今も、6月の総会、年4回の「幹事会」、そして「歩こう会」「ゴルフ同好会」「カラオケを楽しむ会」「詩吟の会」など20年を超える同好会活動は、会員の大事な生き甲斐のひとつであり続けています。また、バスケットボールのウインターカップ応援では、母校の後輩たちの活躍に、私たちも沢山のエネルギーをもらっています。
「ウンダモシタン小林」の動画が多くの賞を総なめにする快挙で、故郷が元気になりました。桜萩会は私たちの青春を呼び戻す大きな『絆』です。「ウンダモシタン」を語り合える場を与えてくれます。桜萩会は今こそ大事な、心の拠り所なのです。
この10年で会員が2000人余から1840人へ、400名近くあった会費納入者も260名となるなど、危機感もありますが、会員減少には避けられない背景もあり、今なお1800名余の会員があることを誇りに思い、これまで参加する機会のなかった皆さんが一人でも多く、総会、幹事会や、同好会に参加し、お互いの『絆』を深めて頂きたいと願っています。
3年後には母校が創立100周年を迎えます。地元小林をはじめ、全国各地の3万余名の卒業生が、知恵を絞り、助け合って、母校の将来の発展の為に役立つ記念事業が出来れば、全国の同窓生との『絆』が深まり、組織の強化にも繋がります。
これからも、私たちは会員相互の『絆』を深める活動を積み重ね、母校や故郷とのつながりを強める活動を意識しながら、そして小林高校以外の高校を卒業した故郷の仲間もメンバーに加えることを視野に「桜萩会」を強化していきたいと思います。
来る6月3日の桜萩会「6月祭」で多くの皆様にお会いできますことを楽しみに、これまで以上のご理解、ご支援をお願い申し上げます。
設立時の桜萩会
会長を辞してから桜萩会の資料を整理していたら設立当事の藁半紙にガリ版刷りの黄ばんだ資料が出てきました。桜萩会のホ-ムページを開設した時にこれから桜萩会の歴史を順次載せてゆきますと大見得をきりましたが、なかなか資料の整理が出来なくて未だHPの紹介欄は空欄になっております。今回から本文を随時HPに掲載したいと考えております。
さて桜萩会の前身は昭和43年12月設立の「小林中学関東地区同窓会」(小林中学関東地区同窓会会則第一条)であります。そこに新たに小林中学校、小林高等女学校、小林高等学校を加えて桜萩会が発足しました。
単純に言いますと、そもそものきっかけは高校駅伝の全国出場の寄付をどうやって集めようかでありました。
昭和50年の9月頃だったか田中三蔵(高2回)氏より何とかまとめましょうよとの電話があり、その話に乗ったことが、小生が30年もの長い間、桜萩会に係わることになったわけであります。因みに田中氏は小林高校駅伝部の創設時のキャプテンです。そして桜萩会設立の発起人西野間幸雄(中15)、森山誠一(中15)、立野輝二(中17)、橋口和人(高1)、田中三蔵(高2)、塩入初男(高17)の各氏を中心に新しい同窓会の設立に向けて動き始めました。急遽その年の12月に桜萩会の発起人総会と小林中学校関東地区同窓会の最後の総会と高校駅伝の寄付集めを兼ねた合同の総会を目白のとある和風の料亭で開催しました。そこで会長に森永貞一郎氏、幹事長に瀬戸山幸一氏、副幹事長に西野間幸雄氏と橋口和人氏、そして事務局を田中三蔵氏と塩入初男氏にお願いし又各学年幹事をも決めて貰い新しいスタートが始まったわけです。
そして昭和51年12月18日に桜萩会の設立総会を京橋会館で開催し、関東地区の同窓会として正式名称「宮崎県立小林中学校、小林高等女学校、小林高等学校関東地区同窓会」が発足したのです。但しこの時は未だ「桜萩会」という名称では呼ばれておりませんでした。
ところがここで桜萩会にとって対外的に重要な問題がひとつ起きたのです。この問題はその後ずっと尾を引くこととなります。
桜萩会としては、この後、桜萩会の歴史の中で財政的にも組織的にも最も困難な創設期を向かえることになります。
次回、それをどうやって乗り越えてきたのか、又その時に起きた問題をどの様に解決しようとしたかに就いて振り返ってみたいと思います。
尚、文中の森永貞一郎氏と西野間幸雄氏は既に物故者となられております。
合掌